今回は独特な恋愛観を発信してTwitterで人気を集める「E子」氏にご寄稿いただきました。
そのテーマは永遠の疑問とも言える「浮気の防ぎ方」について。
古今東西、あらゆる恋愛の場において話題に上がる浮気問題。
これに関してE子氏は ある程度は防げるが、防げないものも存在するとのこと。
浮気を防ぐ方法だけでなく、浮気への向き合い方のマインドセットについてもご解説いただきました。
浮気に悩むすべての女性にお読みいただきたい内容です。
婚活を趣味として活動を続けること〇年の30代独身婚活戦士。
いよいよおかしくなりつつある恋愛観は、ツイッターにおいて婚活女子の共感を得たり得なかったりと評判だ。
好きな食べ物はダントツで納豆。
Twitter:@escape_no_e_yo
※以下からが、E子氏にご寄稿いただいた内容です。
恋人や配偶者の浮気をいかに防ぐか。これは人類の永遠のテーマである。
人の悩みの大半は人間関係によるものと言われており、
人間関係のうちもっとも悩みを生みがちなのは、恋愛である。
そしてその 恋愛におけるいざこざにおいて、もっとも代表的なものが浮気だ。
つまり、我々は日々、浮気を気にして消耗し、浮気のために涙し、
浮気のために信頼のみならず職をも失ったり、
浮気のために人生を180度変えたりもするのだ。
浮気を防ぐことができたら…
これは人類の夢なのである。
目次
浮気は防ぐことができるか
では、浮気は防ぐことができるのか。
いきなり本題から入っていくことにするが、焦らないでほしい。
結論から言えば、浮気はある程度防ぐことができる。
しかし 一方で、防ぎがたい浮気も存在するのである。
まずは防ぐことのできるものについて、その方法をご紹介していく。
浮気を防ぐ方法①束縛する
浮気を防ぐ最大の方法は「束縛」である。
個人的には束縛を推奨するつもりはないし、束縛されるとかなりウザイ。
どれだけ魅力的な人でも、「束縛する」という体質を知っただけで幻滅するし、付き合いたくないと感じる。
なので、「束縛をする」ことで、
- 浮気される前にフラれる
- そもそも付き合えない
というデメリットは存在するだろう。
しかし、うまいこと付き合って日常的に「束縛する」ことが実現した場合。
これは最強である。
その人は、束縛をされたとしても、あなたの恋人の座を降りるつもりはないわけだ。
そのくらい愛されているということでもある。
一度「束縛する」関係性に持ち込めば、四六時中監視し、スマホは共有財産としてプライベートの垣根を撤廃、合鍵を渡しあうことで、完全なる支配下に置くことができる。
正直、ここまで徹底して管理された上で、わざわざ浮気をするのはとても面倒くさいし、そうまでして浮気をしたいという人間ならばそもそも「束縛する」人とは付き合わない。
よって、強烈な束縛により、すべての行動を監視することで、浮気は防ぐことができる。
もし、「見張っていたのに、それでも浮気された!」という方がおられたら、私はその方に言いたい。
管理が不十分である。徹底したまえ、と。
刑務官になったつもりで、しっかりとお願いしたいものである。
浮気を防ぐ方法②脅す
さて、次なる浮気の防止方法は「脅す」である。
「束縛」という行動の監視はせず、ある程度恋人の良心に任せて好きにさせる。
しかし、 「もし浮気をしたら、二度と社会復帰できないようにしてやる」
と宣言しておく、ということだ。
法を犯しかねないギリギリのラインを攻めるくらいの意気込みでいってほしい。
普段は自由を与えてやる、その代わりに、もしも約束を破ったら「別れる」「許さない」程度では済まない。
具体例を挙げると、この記事が日の目を見ることができなくなる可能性があるので控えるが、そう。
例えば言い方にも気を付けると、法的には「脅し」に該当しないのではないだろうか。
「あなたのことが好きすぎて、万が一浮気されたら勢いで殺してしまうんじゃないかと自分で自分が怖い…」
自分のうちに眠る恐ろしい何かにおびえる可憐な乙女を演じてほしい。
浮気を完全に防ぐことは不可能
さて、監視と懲罰という厳しい方法での浮気防止法を述べてきた。
しかし、 どれだけ厳重に浮気を禁じても、防ぐことのできない浮気も存在する。
以下のようなケースについて考えてみてほしい。
浮気のケース①酔った勢いでの浮気
アルコールが入った状態などで判断力が低下すると、ひとは自分が監視されていること、約束を破ると怖い目にあうということさえ、すっかり頭から抜け落ちてしまう。
そんなことはどうでもよくなってしまい、今が良ければどうでもいいという気分になる。
この現象は、実は普段厳しいルールの中でお行儀よく生きている人のほうが起こりやすい。
日々の我慢が不満となって爆発し、歯止めがきかなくなってしまうのだ。
こういった浮気を完全に防ぐことは難しいし、ある意味、不可能に近い。
浮気のケース②特殊な性癖を解消するための風俗等
浮気の理由は多岐にわたるものだ。
中には、妻や彼女に対しては要求できないような変態的リクエストをするために、浮気をする人もいる。
これについては、そういった変態的要求を本命相手にしたくないという、本人の意向もあるかもしれない。
もし、「どんな要求でも、ほかの女にするくらいなら、私にして!」とあなたが思ったとしても、そういう問題ではない。
性癖や性的欲求は、ときに愛情とはまったく別物であることがある。
それは、世に溢れるAVのおかしな設定を見ても、明らかではないだろうか。
そこまでおかしな性癖でなくても、例えば、家庭教師のお姉さんとしたい、というのは、その家庭教師の宮田さん(仮)という個人に対する愛情ではなく、「家庭教師」というポジションの人に対する欲求だったりする。
こういう欲求は、あなたが家庭教師でない限り、かなえてあげることはできない。
家庭教師という設定でする…となったとしても、彼は愛するあなたにそのような設定を要求していることに関して落ち着かなかったり、思う存分リラックスして楽しめないこともある。
それはあなたへの愛ゆえの気遣いからきている。
こういった浮気は、そっとしておくほうが平和なのではないかとさえ思うのだ。
なぜ浮気が嫌なのか、なにをされたら嫌なのか
防ぐことのできない浮気も存在するとするならば、我々の「浮気」に関する悩みは永遠に解決することができないままなのだろうか?
ここで一度、君たちに問いたい。
なぜ、浮気されたくないのか?浮気の何がイヤなのか?
嫌な理由は人それぞれなので、これは一例に過ぎないが、私個人の意見を述べるとするならば、
「一時的であったとしても、彼が私以外の女にゾッコンラブな状態が嫌」なのだ。
先日友人としゃべっていて気づいたことがある。
浮気のボーダーラインはどこからだろうか?二人で食事をしたら?それとも肉体的接触をした時点から?
一般的にはそういうボーダーラインを述べるひとが多いように思うが、
じゃあ、仮にあなたの彼氏が、
あなた以外の女性に対して、必死こいてアプローチをし、渾身のプレゼントを贈り、「美しいね」「君のような人と付き合いたい」と褒め散らかし、多大なる金銭と労力をつぎ込んだにも関わらず、
あっけなくフラれ、デートすら実現しなかったら、どうだろうか?
肉体的接触はおろか、デートさえ拒まれている。
ちょっとキショイとさえ思われている。
どうだろうか。
何も起こっていないのに、とても悲しいと感じるのは私だけだろうか。
ここには2種類の悲しさがある。
- 彼が、他の女に全力アプローチしていた(彼の愛情が他に向いている)
- にもかかわらず、彼が、他の女に見向きもされなかった(彼の価値が低いと知らされる)
こんなに悲しい事件が他にあるだろうか。
せめて、一晩の浮気くらい、成就して帰ってきてほしいところではないだろうか。
浮気を一部容認するという解決策
もしもあなたが私と同じ考えなのであれば、一部の浮気は容認してみてもいいのかもしれない。
例えば、愛情の伴わない肉欲の解消のための浮気、酔った勢いで判断能力を失ったタイミングでの浮気、一過性の浮気、
こういったものは、よくよく発生経路に思いを馳せてみると、そこまで悲しくないかもしれない。
浮気=不潔=悲しい
ももちろん分かるが、
一過性の浮気=私への愛情はゆるぎない=OK
という思考回路を持ってみてもいいのかもしれない。
防ぐことができないものにやきもきし、神経をすり減らしながら生きていくくらいならば、一部についてはポジティブに変換し、「まだマシかな」と思ってみる。
これは、「恋人への優しさ」であると同時に、「自分自身への優しさ」でもある。
些細なことで頻繁に傷つくよりも、物事の本質が揺らいだ時にだけ傷つくようにマインドシフトすることで、あなたも生きやすくなるに違いない。
最後に
本日は浮気は防ぐことができるか?についてお話をさせていただいた。
防ぐことのできるものもあれば、防ぐことのできないものもある、とお伝えした。
世の中のたいていの問題はだいたいそうで、完全に根絶することができるかと言えばそうでもない。
歯切れの悪い回答に思えるかもしれないが、このあいまいな感じを受け入れなければ、生きていくのに苦労してしまうだろう。
浮気の大半は、「束縛」や「脅し」で防ぐことができるが、そもそもこれをすることで失われる恋愛もあるだろう。
そして、そのデメリットをおかしてまで実行した「束縛」や「脅し」をもってしても、防ぐことのできない浮気は存在する。
これらと共存し、自分の心の平和を保つためには、
浮気の「何が」嫌なのか、一度じっくり考えてみることだ。
その理由は人それぞれ異なるであろうが、場合によっては一部の浮気を容認する考え方に移行できるかもしれない。
大人になることの楽しみの一つに、周囲の人に対して寛容になっていくことだ。
白か黒かではなく、グレーやオフホワイト、そういったものを受け入れてあげることができるようになる。
それは俯瞰的なものの見方や、本質を重視する頭の良さが身についたからではないだろうか。
ただ相手を「許してやる」ためだけでなく、自分のためにも、1ランク大人になって寛容な考え方ができるようになると素敵だなと思うのである。